“国家安全法”導入後の香港
2003年SARS当時との違い、香港経由の資産運用の安全について。
全人代が突如として提出した香港の国家安全法案について、弊社のクライアントからも「香港の今後が心配」との声が聞こえてきたのでこの問題について取り上げたい。
国家安全法、National Security Lawとは
内容は?
国家分裂、政府転覆を企てる香港内、外国の政治組織の活動を禁止し、それらの香港政府とのつながりを禁止する憲法。違反者は刑事罰となる。
どういう位置づけ?
香港独自の憲法である「基本法」23条には国家安全法を香港政府「自ら」制定すると規定されている。自ら、というのは香港政府自らという意味である。
実はこの国家安全法については2003年SARSが収束するときにも香港の議会にて民主的なプロセスを経て「自ら」制定されようとしていたが、当時も香港市民の激しい反対にあい成立が見送られたという事情があった。しかし今回は香港議会の採択を経ることなく(すなわち「自ら」ではなく)、中国共産党の一存により香港憲法である基本法に追加する形で国家安全法が定められる。今回もなんの因果かコロナ収束直後に国家安全法が採択されようとしている。
香港憲法(基本法)の内容を決めるのは?
少し香港の統治についておさらいをしておきたい。
香港には「基本法」という香港版憲法が存在することは前述のとおり。国のあり方を規定するという意味では香港の憲法と他国の憲法に違いはないが、たとえば日本やアメリカのような民主主義国家憲法と大きく異るのは、憲法を追加したり改正したりする力の源泉が香港国民にあるのではなく、中国共産党一党にあるという点だ。
すなわち民主的なプロセスを一切経ることなく憲法が改正される。基本法の解釈についても中国共産党がまず一時的に解釈する権利を有するため、香港の裁判官はこの基本法の解釈を行うことは認められない。
今回の国家安全法が現実化するまでの時間は?
全人代が「草案」としている国家安全法は草案とはいうものの、これをたたき台にして様々な意見が出され、調整されて導入… というプロセスを経るのではなく今回の全人代が閉幕するまでに採決される。すなわちあと数日で可決されてしまう。
送中法とは違うの?
内容はもちろん、採決にいたるまでのプロセスも違う。
昨年夏のデモのきっかけともなった容疑者を中国に送るという、いわゆる送中法も民主的なプロセスを経て採決されようとはしていた。なので送中法と今回の国家安全法では可決までのプロセスに香港市民の考えが全く反映されないという点で異なり、そのために香港社会に与えるインパクトが全然違う。
日本の破壊活動防止法みたいな?
似たような法律として日本の破壊活動防止法、破防法がある。内容としてはどちらも治安維持を目的として過激なデモなど表現の自由を制限するものだろうが、日本の場合は法の運用に民主的なプロセスを経ることでチェック&バランスが働くのに対し、香港の場合は中国共産党の一存で、もっというと習近平の一存で法の運用がなされるということだ。
民主国家であっても解釈は拡大されがちなのだから、党独裁であればなおさらだ。最初は限定的に適用されていたのが、その時々の政治的な文脈によって、また国際社会におけるパワーバランスによってどんどんと拡大解釈され最後には骨抜きとなるだろう。
雨傘革命後、中国共産党は香港への圧力をどんどん強めていたわけだから、この国家安全法で中国は「共産党に反対する勢力は排除する」という法律的根拠を得ることになる。すでに中国共産党の軍隊が香港警察と一緒になって今回のデモ鎮圧に加担しているという報道もある。
雨傘革命の起こった2014年のデモと今回のデモとで大きく変化した、と思うのは、警察がデモグループに向かって発射する催涙弾の角度だ。2014年にはデモ鎮圧のための警察部隊は催涙弾を空に向かって射撃していた。しかし今回は明らかにグループめがけて射撃している。催涙弾は直撃したら死ぬかもしれない。先進国なら相手以上の武力は用いないというのが警察力行使の原則だ。香港警察の武力行使は竹槍に機関銃といったアンバランス。それがどんどんエスカレートしている。
以上が今回全人代で採択されることになる国家安全法の概要だ。採択ののち国際世論を鑑みて最初は静かに運用されるかもしれないが、 蟻の穴から堤も崩れるのだ。
香港市民のリアクション
昨年の夏にデモが始まったころも「移民」という言葉が多く検索されたが、また今もすごい勢いで検索されている。香港から脱出したい人が多いのだろう。デモに参加せずとも、香港の将来に静かに絶望している人が多くいることの現れだ。
香港市民の意見は、真っ二つだ。香港自体、中国からの移民で成立した国なので年寄り世代は「香港は中国のものなのだから、中国の言うことを聞くべき」という考えだ。逆に香港から飛び出して留学して自由と民主主義の薫陶を受けた世代は全く逆の意見だ。これに世代間闘争や資産格差闘争も加わるので単純な親中/反中でグルーピングできず香港人同士の喧嘩がそこかしこで起こっている。
ハンセン指数は報道の日は5.5%下落し、特に不動産セクター株は7%以上下落した。
米政府のリアクション
米政府は対中制裁をチラつかせながら国家安全法の採択を見送らせようとしている。2014年の香港雨傘革命後に導入された香港人権民主法案(香港の高度な自治が失われれば、中国と香港に制裁を課すことができる法律)を使うのか、それとも米中貿易戦争で繰り返された関税や中国企業の排除などになるのかは明確ではないが、採択されることを見越して今様々なオプションを考えているところだろう。
これに大統領選挙を見据えて弱腰を見せられないトランプの思惑も加わる。TVでは「国家安全法が採択されれば中国に制裁を加える」という勇ましい意見が聞こえる。
WATCH: What is the U.S. prepared to do if Beijing goes through with moving Hong Kong away from a democracy? #MTP @robertcobrien: “There will be sanctions. It’s hard to see how Hong Kong will remain the Asian financial center … if China takes over.” pic.twitter.com/Bma3Ya5mPq
— Meet the Press (@MeetThePress) May 24, 2020
香港での資産運用は果たして安全なのか
さて、ここからが本題だ。国家安全法が採択されるとして、香港の資産運用はどういう影響を受けるのか。
香港金融業界への影響
まず、香港金融業界という大きな枠組みでみると国家安全法はマイナスでしかない。仮に国家安全法がごくごく限定的に運用されるとしても、「香港は情報を自由に発信・受信できる国である」という信頼がなければ金融業は成り立たない。
ローマは一日にして成らず、金融センターは一日して成らず。イギリスの庇護のもと法律などの社会インフラを整えてこの信頼感を醸成してきたからこそ香港は現在の地位を確立したわけである。一度崩れた信頼を取り戻すのはなかなか難しいだろう。
また仮に香港の学校教育で共産党賛美が強要されたり体制批判が禁じられたりすると西側諸国の金融マンは子供連れでは香港に来たがらなくなる。今いる金融機関も政治信条の問題ではなく「情報が自由に流通しないかもしれない」というビジネス上の理由で香港を離れる可能性がある。
香港IFA業界への影響
香港IFA業界を支えているのは、そのほとんどがもともと香港に住んでいる香港人なので、外国から駐在にきている高度人材というわけではない。とはいえ昨年のデモから続いている香港経済の見通しの悪さもあってIFA業界を離れていくアドバイザーは多い。アドバイザーもある種の接客業なので、人と会えなければ商売にならない。一度も会ったことのないアドバイザーに自分の資産を任せられるほど客はほとんどいないだろう。
クライアントの資産運用への影響
まず理解しなければいけないのは香港の資産運用といっても実際に投資金が管理、保全されているのは香港外のオフショアであることが多い。香港はあくまで入り口にすぎないのだ。ここが他国と大きく違うところだ。
たとえば日本では日本のIFAに資産運用をお願いすれば口座は日本の口座でありその中で購入できる金融商品も原則的には日本の金融庁が認可したものだ。
しかし香港のIFAに資産運用をお願いしても口座は香港であるとは限らず、また購入する金融商品も香港でしか買えない有価証券ではない。むしろ口座は香港外にありそこから香港に限らず世界中の金融商品にアクセスをすることができる。
たとえば資産運用の投資金はマン島やBVIなどのオフショアで管理され、生命保険は生命保険業界にとっては有名なオフショア地であるバミューダなどで運用される、といった具合だ。資産の管理の法管轄はマン島でありバミューダであるので、香港の政情に影響されることはない。
アドバイザーが香港を離れることがあれば自分の資産の面倒を見てくれる人はいるのか? という心配に対しても同じことがいえる。アドバイザーから電話がかかってきたとして、クライアントはアドバイザーの物理的な所在地を気にしたりはしない。アドバイザーがアメリカにいようとシンガポールにいようと、きちんと自分の資産を管理がされている実感があれば所在地は関係がない。
資産はビッドに近づき、香港というレイヤーは曖昧になる
たとえば検索キーワードを打ち込んでブラウザに検索結果が返ってきたとして、その検索結果が果たしてアメリカのサーバーを経由したのかインドのサーバーを経由したのかは検索する人にとってはどうでもいい。大事なのは期待通りに検索結果が返ってくることで、過程は気にしない。
同じように、投資家は投資金が安全な法域で管理され、きちんとした運用サービスを受けられれば後のことはどうでもいい。香港経由で投資をしたとしても、その資金はすぐさま香港外のオフショア地でカストディ(証券の保管業務)される。そこからさらに市場でやり取りされる電子情報(ビッド)となり、世界中を駆け巡る。
香港という土地に住んでいたアドバイザーに相談したから香港での資産運用というイメージが残っているだけで実際には香港はそこにたまたま相談できるIFAがいただけで香港という土地は資産運用にはほとんど関係がなくなるのだ。
先週、リモートアドバイザーは成立するかというお話をさせていただいた。私どもはたまたま香港内で金融ライセンスを取得し営業をしているので香港内でしか活動できないが、いったん口座を開いてしまうと資産は世界中に飛び散り、香港というレイヤーは曖昧になる。
最初の質問、「香港の資産運用は安全か」ということに答えると、「国家安全法が採択されたとしても影響はない」といえる。ただし、これから香港の情勢がますます不安定化するため心配になったときにすぐアドバイザーに相談できるよう、ご自身アドバイザーが誰なのか、またそのアドバイザーときちんと連絡が取れるか確認することをオススメします。