Ant が上海・香港上場を延期した件

Alipayを擁するAnt Groupの上場延期が発表された。忘れかけていたチャイナ・リスクを思い出させる一件となった。

Ant Groupは傘下にAlipayを擁する一大フィンテック企業だ。中国に最近行ったことのある人ならおわかりいただけると思うが、Alipayなしでは生活できない。小売店では現金をそもそも置いていないところもあり店の前に「現金おことわり」とわざわざ張り紙してあるところもある。単なる決済としてではなく、Alipayを通じて保険を買ったり投資商品を買ったりする。もはやおカネに関することはAlipayで完結してしまう。香港でも日本でもAlipayを使うことができる。QRコードをかざすだけで現金はもちろんクレジットカード決済よりも素早く決済できるので重宝している。

Alipayは現在、13億人のアクティブユーザーそして17兆ドルの取引が発生、8,000万の小売やレストランなどの中小企業が決済に利用し、2,000の金融機関がプラットフォームに参加していると言われている。

Alipay Profile, Trends and Insights – China Internet Watch

そんなAlipayを中心としたエコシステムを抱えるAnt Groupが上場しようとしていた矢先、上場のまさに前日に上場を取りやめるというニュースが飛び込んできた。大統領選にかき消されてしまっているが、大統領選がなければこのニュースが数日メディアを賑わせていたに違いない。

上場取り消しの真相

11月1日に策定されたマイクロ金融に関するルールの枠組みができ、それをもとに中国の金融当局にジャック・マーが呼び出され、上海証券取引所はAntに対して「上場基準を満たしていない」として上場を延期とした。香港証券市場がそれに続いたかたちとなっている。どちらにしろ上海・香港と2つの取引所での史上最大規模の35兆円とも40兆円ともなる予定であった上場が突如として消えてしまったことになる。

金融当局とジャック・マーそしてAntの重役との間で会合がもたれAntの現在のやり方に「問題がある」と指摘されたとされているが、その具体的な内容までは外部には公にされていない。

Ahead of Ant Group’s Record IPO, China Tightens Online Microlending Rules – Caixin Global

しかし、マイクロ金融についての枠組みができたということなのでAntが手掛けけている決済、資産運用、与信と貸付のうち貸付のサービスになにかに問題があったとみるのが妥当だ。少額貸付についてはAntグループ傘下のMyBankという銀行、そして提携銀行を通じて同じく傘下のゴマ信用(芝麻信用)という信用スコアをもとに貸付レートを動的に判断して貸し付けている。この貸付が中国の金融当局が新しく制定したマイクロ金融事業者向けルールに則っておらず、システミック・リスクを内在すると判断されたらしい。

金融当局のいうシステミック・リスクとはなにか

新しいルールによると、今後マイクロ金融業者はもしものときに備えて流動性を確保しなければならないといった業者にとって不利なルールとなっている。すなわち貸し倒れに備えてキャッシュあるいはそれに相当するものを用意せよということだ。およそ7,000以上あるマイクロ金融業者のほとんどが新しいルールに対応できる体力を備えていないとされている。Antはもちろん業界の雄だけあってすぐにでも新しいルールに沿うことはできるだろうが、なぜこのタイミングなのか。

もともとジャック・マーは共産党員でありながら監督官庁や旧態の銀行とは激しくやりやってきた経緯がある。たとえば当局の古いやり方を批判して「老人クラブだ」と言ってみたり、銀行の昔ながらの経営のやり方に対して「鉄道員(旧来の銀行)に空港(アリババなどのハイテク企業)を運営することはできない」と言ってみたり。

China amazed as Alibaba fights publicly with regulator – MarketWatch

オールドファッションなやり方をしてきた勢力からみると、もちろん面白くない。またプラットフォーマーとして金融機関よりも上位に立たれ、生殺与奪を握られ、銀行のコスト構造を根本的に変えてしまうようなAntに対しては憎らしくもあっただろう。そういった新旧対立の構図があったことは否めない。

誰がリスクテイクをするかという問題

とはいえ当局の言うことが完全に荒唐無稽かというとそうとも思えない。中国は現実的にも中国の銀行は不良債権を大量に抱えており、当局はこれ以上不良債権を増やすわけにはいかなくなっている。小口金融だからといって貸し倒れが多発するのであれば、それは銀行の与信能力の管理が甘かったということになる。

しかしAntの場合、個別の小口融資は証券化され銀行がそのリスクを負担する。ただし銀行が与信そのものを担当しているわけではなくAntのAI(人工知能)がそれを行う。銀行からすると単にローンの束を購入し金利の返済を受けるという金融商品を購入しているに過ぎない。小口融資を審査する能力も体力もない銀行にとってもAntからのローンの束は魅力的に映るのだろう。

China’s Post-Covid Bank Profits Have Further to Fall as Loans Sour – Bloomberg

もしAntのAI与信能力に問題が生じ、銀行が痛手を負うならそれはAntのAIが悪いのか、それともAntを信じた銀行が悪いのかという問題が生じる。これはリーマンショックを引き起こしたサブプライムローンと同じ構図だ。

Antとしては、もちろん「一度に個別のローンが焦げ付くはずがない」と主張するだろうが、この主張自体もサブプライムローンと同じだ。当時、格付け会社は「一度に住宅ローンが焦げ付くはずがない」としたが実際には一度に焦げ付いたのだ。Antがどれだけのストレステストを実施しているのかはわからないが、中国で同じことが起こらないとも限らない。

もしマイクロ金融業者側と銀行側の責任をどう分配するかの問題になるとしても、なぜ上場直前にこれを発表したのかという疑問は残る。また上場だけ先にさせておいて後でAntに修正させることもできたはずだ。

しかもAntはプラットフォーマーであって、リスクを抱えているわけではない。融資は証券化され、すぐにプラットフォーム下の金融機関がそのリスクが引き受ける。ピア・ツー・ピア(貸し手と借り手が直接つながる)のとは違ってリスクの引き受け手は個人ではなくれっきとした銀行。Antはただ単に借り手にとって借りやすくしているだけだ。

特にこのコロナ禍にあって街の小さなショップやレストランはふつうの銀行から借り入れを起こすのは大変に困難な状況だ。3分でローン審査が終了し、1秒で振り込まれるAntであれば頼りたくなるのも当然だろう。バブル崩壊後に消費者金融が流行った日本と構図としては一緒である。日本の消費者金融の場合、グレーな金利であったがAntは別にグレー金利でやっているわけではない。

それなのに、いきなり金融当局が「規制をかけるから上場は待て」と言ったわけである。

忘れかけていたチャイナ・リスク

Antに粉飾決算があったわけではなく、役員の不正が暴かれたわけでもなく、単に金融当局から突如としてルールを言い渡されて上場延期となったAnt。

海外投資家にとっても、ジャック・マーにとっても青天の霹靂であったに違いない。上場延期の動きをうけて、ハンセン指数は一時4%も下落した(ただし。同じく香港ドルも大きく売られた。またIPOを主導した証券会社は合計で400億円にものぼる手数料収入をフイにしている。もちろんこれから上場する可能性はあるし、時間をかけてそれは達成されるだろう。

中国はこれまでのところ債務危機を上手に乗り切っている。あれだけ言われ続けている住宅バブルもはじけずに済んでいるし、倒産連鎖で信用不安も表立っては起きていない。理財商品は販売停止や利回りの急激な低下で新しく資金が集まらなくなっているし、それをテコにした官民プロジェクトの債務は覆い隠されている。債務が足を引っ張って成長率は低下したが外国投資家にとってはまだまだ魅力的な市場だ。特にアメリカが3月以来ゼロ金利政策をとってからはまた中国に投資家の視線が集まっているように感じる。

特に今おこなわれているハチャメチャな米大統領選を横目に見ていれば、アメリカがスーパーパワーでいられる日も長くはないのではないか… と感じざるを得ない。

ジャック・マーならびに彼の率いるAntはそういう意味では外国投資家にとって中国の入り口になるはずだった。香港でまず練習がてらAntでも買って、次に本土の株式をいくつか持ってみよう、と計画していた投資家は多いはず。しかも外国投資家への参入が容易になりつつあり、「はて中国リスクとは何だったか」と忘れることもあったにもかかわらず、日本の投資家、外国の投資家が一昔前に言っていたの「官僚・人治主義」というど真ん中の中国リスクを思い出すことになってしまった。

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