中央銀行に踏み絵を踏まされる私たち
クライアントの多額の引き出しにびっくりして、そこから考えたこと。
先日、一人のクライアントから一通のメールが届いた。運用資金のほとんどを引き上げるという。金額にして1.4億円くらいである。もう7年くらいお付き合いされている60代のクライアントだ。
こういった極端な動きというのは、通常は事前に何らかの兆候があったりする。たとえば「資金を引き出すのにどれくらいの日数がかかるか」みたいなメールがあると、ご事業大変なのかな、リスクオフしたほうがいいのかな、と考えてしまう。また運用方針に不満を持ってらっしゃる場合などには他のIFAを引き合いに出し、細かい点を指摘される。結局は運用方針は哲学の問題であって正解はなく、正解があるとすればそれはリターンという結果なのであるが、これも保有運用資産によっては年度によって良かったり悪かったりするのでそう簡単には良し悪しは判断できない。
しかし今回の場合、それが一切なかった。なにか怒らせるようなことをしたのではないかとあわてて電話してみると
「田舎に引っ越したんだよ。四国に。川釣りがもともと好きだったから、いずれ東京での商売をやめて引っ越したいなと思ってたんだけどさ。コロナが良いきっかけになったよ。今まで誰かと競争したり、何かに打ち勝ったりすることが生きることそのものだと思ってたんだけど、もうなんだか疲れちゃってさ。マンションも引き払って、車も安い軽自動車に買い替えて。今住んでるトコは夫婦ふたりで生活費に20万円もかからない。毎日新鮮な野菜をお隣さんからもらったりしてるし。借家暮らしなんだけど家賃8,000円。そう考えると資産運用でいくら増えたとか減ったとかいうことを気にしてるのも馬鹿らしくなって。バラまくほどのカネではないけど、死ぬまで楽しくやってけるならもう資産運用の必要ないかな、と思ってさ」
毎月20万円で年間240万円。時々大きな出費があるとして年間60万円。合計300万円必要だとしたら、あと30年生きるとして9,000万円。 1.4億円あれば十分間に合う。都会で豪快にお金を使うような生活をしていた方が、まさかこんなに潔く断捨離されるとは。
このクライアントの話を聞いて、ざっくり大きくわけるとこの世の中には大きく2つのパターンがあるのではないかと考えた。
A. 資産運用して、都会で便利な生活する。
B. 資産運用しないで、田舎で自給自足な生活する
資産運用をするかどうかと、どこで生活するかは一見関係がなさそうに思えるが実はそうではない。一度弊社内でも都道府県別で資産運用額をプロットしたことがあるが圧倒的に東京・大阪が多い。これは都会だからお金持ちが多いという理由だけでは説明しきれない。都会と地方で平均年収で2倍の差があったとしても、運用平均額では10倍以上の開きがあったりする。
これは平均年収が高いゆえに資産運用のためのまとまった資金ができやすく、また資産運用資金がいったんできるとそこからオーソドックスな資産運用していけばますます資産が増えるという循環によるものだろう。ETFなど分散投資のツールが整い、ネットで投資家間の情報格差が是正され、証券会社間の手数料競争。かつては都会でも地方でも資産運用をは一部のお金持ちの遊びだったものが、現代ではこれら投資家にとって好都合な状況の出現もあって、都会では生活の一部にすらなっている。本来は格差を是正するようなツールがますます格差を助長しているという皮肉。
そして都会では日々投資情報が交換され消費されていくので投資家の感度も高い。ますます都会に住んでいる人たちが富むという循環がある。
もちろん、私のクライアントのようにそれが幸せかどうかは誰にも分からない。田舎暮らしで資産運用から卒業してしまうことも幸せだ。とはいえ誰がこんな世の中にしてしまったのか。
中央銀行がわたしたちに迫る踏み絵
それは中央銀行だ。
中央銀行は、もはや「最後の貸し手」などという奥ゆかしい存在ではなく「最初の投資家」になっている。誰もがリスクを取りたがらないときに大量の国債・社債・ETFを買い漁る。それに釣られて株価が上昇し、ようやく市井の投資家がついてくる、という流れだ。最初のリスクの担い手が中央銀行となってしまっており、もはや「金融市場を通じた資本の効率的再配分」なんていう話は誰も信じなくなった。
リーマンショック以降、中央銀行のバランスシートは3倍になっている。

中央銀行は、低金利で銀行預金しかしていない人を資産運用に駆り出す。資産運用で得られるリターンが4%だとすると、安全な方法でそれを達成する手段はない。
ここで、都会で踏ん張って資産運用を続けるか生活コストの安い地方で過ごすかの選択をせまられることになるのだ。中央銀行についていって資産運用をするか、否か。
預金など安全な方法ではもはや資産はふえず、リスク資産を持つことでしか普通の生活ですら維持できないのではないか。特に都会では上を見るとキリがない。人がうらやましがる稼ぎがあっても、なんとなく安心できない。そんな気分がかつて資産運用なんて見向きもしなかった層を資産運用へ駆り立てている。
中央銀行によって生き方まで規定されてしまう時代。冒頭のクライアントのように、現役時代は一生懸命働いてある程度の資産を商売によって作り、それを元手に資産運用し、生活コストを一気に切り詰めて逃げ切るということができる人はそう多くはないだろう。
であれば、せめて資産運用との付き合い方を間違えないようにするためにフラットな情報を発信していければと思う今日このごろです。